棚倉 第4回平和のための戦争展 
08年8月10日〜13日:棚倉町中央公民館


これが長崎に投下された原爆(ファツトマン)と同じ大きさの模型です。
 
参考:原爆の記録(広島へ投下されたリトルボーイ)へリンク

棚倉 第1回平和のための戦争展へリンク
棚倉 第2回平和のための戦争展へリンク
棚倉 第3回平和のための戦争展へリンク

学童疎開、宝屋(棚倉郵便局前:現ホールス旅館)。

昭和18年頃:学童疎開、集団で都会の学童が空襲をのがれて田舎の長久寺で親元離れ生活をした。

棚倉:第4回平和のための戦争展を閲覧する家族。


昭和17年頃の代かき作業
 生き残った「親善人形」。(ベティ・ジェーン)昭和2年3月3日の「ひな祭り」に日本の人形と一緒に飾ってお祝いをして下さいと。アメリカから「青い目の人形」が全国へ約1万2千体贈られた。
 不幸な第二次世界大戦を挟んで、現在日本には213体しか残っていると推定されています。
 日本全国の学校でこの人形の歓迎会が昭和2年ころに行なわれたと記録にあり、日本とアメリカの親善を願って贈られた。 昭和16年12月に戦争へ突入し、アメリカが敵となり、敵国からの贈り物許せないと、人形の処分となった。
 当時の文部省国民教育局は米・英打倒と戦争が激しさをましていった。
 角田誠一郎白河第二小学校校長が焼け捨てられそうになった「青い目の人形」をだれも知らないところに隠して守った。 
 ベティ・ジェーンちゃんは戦争の恐ろしさを児童らに今なお語りついでいる。

写真:西郷村熊倉小学校所有(ベテイ・マイ・リチャーズ)